遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけむ
人はどんな時にどんな心情で 草木に遊び 花に戯れるのか
高雅な「華道」の世界には不易の精神が継承され、決められた作法や伝統に則って、花が選ばれたり、生ける花器も、生け方も、非礼なきよう進められていると想像します。
その規範や精神も、敢えてここでは「KADOH」と表現し、人はなぜ花を生けるのか、どんな時にどんな心情で花を飾るのか、生けられるのは花や草木だけなのか、花器と称される物にしか生けられないのか、生ける空間演出はどうあるべきか・・・などと、自由に発想を広げて「KADOH」を遊びます。
精神性を探究するのも「KADOH」なら、この花器のカタチはユニーク! こんな発想でイケてもいいんだ! と、思わず微笑んでしまうのも「KADOH」です。
花器のカタチや、花を生ける行為にある既成概念に捉われず、花や草木に遊ぶことの愉しさを発見する試みでもあります。
はたして作家は、どう「木、草、花に遊ぶ」のか、アイデア満載の展示会になれば幸いです。